当院付近から南西一帯は平安時代の昔、鳥羽離宮と呼ばれる御殿の在ったところです。残念なことですが現在では地形が変わってしまい開発も進み、付近を散策しても華やかな当時をうかがわせる遺跡はほとんど残っていません。わずかに鳥羽離宮南殿の庭園の築山として造られた「秋の山」だけが、私たちに離宮がこの地にあったことを示してくれています。
当院から500メートルほど西へ行くと鳥羽離宮公園と名付けられた公園があり、その中に雑木が茂り少し小高くなった小丘、すなわち秋の山が見えます。貴重な鳥羽離宮の遺跡は公園にして保存されているのです。
平家物語に「池の辺を見回せば、秋の山の春風に白浪しきりに打ちつけて、紫鴛白鴎逍遥す」という記述がありますが、これは当時の秋の山のあたりの風景です。さて今の秋の山の姿は写真のとおりです。これは南から写したもので、この写真の中央付近から右手の方に池が広がり、おしどりやかもめがさざ波に揺れ、舟遊びの舟が浮かんでいたのでしょうか。著聞集第十三康和四年三月「鳥羽殿南殿に御幸なりて御賀事有りけり、廿日後宴をこなはれる、舟樂などはてて舞を御覧せられけり、春鶯囀古鳥蘇輪臺青海波の曲のあいたに主上時々御笛を吹かせ給けり・・・・」
撮影の時、ブランコで二人の子供が遊び、南側の木かげで主婦がひとり本を読み、西のベンチでは男の人が昼寝をしていました。穏やかなひとときでした。