豊臣秀吉公朱印状

「山城国竹田内五百石之事全可有寺納候也」天正十三年十一月廿一日

 当院の859年の歴史をたどってみると、いろいろ興亡浮沈があったことがわかります。保延3年(1137)の落慶から南北朝までは、膨大な寺領を誇る最盛期だったといえるでしょう。その後は、寺領が南朝大覚寺統に伝わったこと、後に火災や、兵火に遭ったり等々、勢力を失い衰退していきました。そして天正13年(1585)になって豊臣秀吉公から五百石分の領地を地元の竹田内に保証され、これ以後も徳川歴代からも同じく保証され、最盛期にはとても及びませんが、何とか維持して幕末を迎えたようです。この写真は天正13年の豊臣秀吉公の朱印状です。


「當院寺中境内地子以下事令免除之訖永不可有相違者也」十二月朔日

 当院には4通の秀吉公の朱印の押された書状があり、今回はその内2通をご紹介しています。この秀吉公朱印状は、たぶん上と同じ年に出されたものと思われますが、当院寺中境内地子以下の事は、これを免除するという趣旨の文書で、今で言う、非課税とするということなのでしょうか? 私には当時の制度がよく解りませんので、残念ながらこれ以上は説明できません。



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